01: 机の下
オレが執務室にノックもせずに入ると、中にいなければならないはずの人物がいつもの場所に居なかった。
「あれ?」
中に入って扉を閉めて、きょろきょろと部屋内を見回す。
「おーい。大佐ー」
呼びかけても返事はない。オレはソファに近づいた。背もたれから覗き込んでも、そこにはあの嫌味ったらしい顔はない。
「まーたサボりか?」
オレはしょうがねえ、とため息を一つついて、トランクから取り出した報告書を机におこうと一歩踏み出した。
机の上は綺麗なものだった。いつもなら書類が山積みで、その向こうに座っている大佐の顔も見え難いくらいなのに。
そういえば、中尉がしばらくは暇だ、とかそんなことを言っていたような…。
「まあ、こちらで止めているだけだから後でまた書類をお持ちする予定なのだけれど」
中尉は笑顔でそう言い切っていた。
「少しは喜ばせておかないと、すぐにサボるでしょう?」
にっこりと言う中尉の頭に角が見えた気がしたのは気のせいだろうか。
オレはぶるぶると頭を振って中尉の笑顔を吹き飛ばした。
「あー怖え」
手に持った報告書を机の上において、さっさと書庫に向かおうと止まってしまった足を踏み出した。
「ん?」
珍しく整理された机の上に報告書を置こうとしてふと聴こえてきた呼吸に、オレは耳を澄ました。
かすかに、規則正しい呼吸の音がする。オレはそーっと音がしないように右膝を滑らせるようにして机の上に乗りあがった。そして、左手で机の向こう側の端を掴んで、体を引き寄せた。滑るようにして、反対側の端から下を覗き込む。
そこには、案の定というかなんというか。
「大佐…」
机の下は狭いのだろう。腕を組み、足を折り曲げた姿勢で眠っている大佐がいた。
そんな格好で寝てたら体が痛くなるんじゃないのか?
「大佐、たーいーさ」
オレは机の上から覗き込んだ姿勢のままで、左手を伸ばした。
大佐はよほどぐっすりと眠っているのか、肩を揺らしてもかすかに身じろぎをしただけだった。
まあ、確かにここは日当たりもいいし、気持ちよく眠れるというのはわからないでもない。が、何故机の下なのか。座りごこちのいいだろう椅子で寝てる方がいくらかましじゃねえか?
つーか、このままだとオレも頭に血が上る。
「起きろ、無能、サボり魔」
言葉にしたとたん、大佐の手がすばやく伸びた。
「え?」
オレがビックリしていると、大佐の手はオレの首をかすめ…。
するっと髪が引っ張られる感覚がしたかと思うと、遅れて解けた髪がばらばらとオレの頬を掠めて落ちた。
「おい、なにしやがる。無能大佐」
オレはビックリしたのが悔しくて、半眼になってまだ目を瞑っている大佐を睨んだ。
「不穏な言葉が聞こえたものでね」
大佐はあくびでもしそうな声音で、寝ぼけたような口調で言うと、目を開けた。
「ほう」
「なんだよ」
目を開けてオレを見上げて、大佐は少しだけ目を細めた。
「君の視界は明るいな」
「…はあ?」
よくわからない。オレはいい加減血が上った頭にぼーっとしかけている。
「あー、血が上った」
「おや、それは大変だ」
そんなことちっとも思ってないような声で言われても、オレは嬉しくない。少しだけむっとして、頭を上げようとしたところで大佐の手によって、まだ伸ばしていたままの左手を掴まれた。
「うおっ! あっぶね!」
引っ張られて、必然的にずるずると落ちる。オレはあわてて下ろしていた左足も乗り上げ、大佐のいる方へと降りた。
「っぶねーなあ」
「はは、すまない。君なら大丈夫だと思ったのでね」
そりゃあ、あれくらい、反射神経のいいオレなら大丈夫でしょうが。
見下ろすと、掴まれたままの左手を引かれた。オレはたいした抵抗もできずに大佐の近くにしゃがんでしまった。
「お、おい」
頭はまだ少しぼーっとしている。
大佐は、オレの様子にはかまわずに指を伸ばしてオレの髪を梳いた。
「上から君の髪が落ちてきた瞬間に、この薄暗い机の下が明るくなってね。これなら前髪が伸びていてもさぞや視界は明るかろうと」
そう思ったのさ。
大佐はオレの髪を梳きながら、まだ眠そうな声で言う。
その声はまるでベッドの中で聞く睦言のような響きを帯びていて…。
オレは頬が赤くなるのを感じた。
「ばっかじゃねえの」
「いや、私の髪は黒いだろう。前髪が伸びると視界が暗くてね、気まで滅入る」
苦笑するような大佐の顔をよく見ると、前髪が前よりも伸びて目を隠していた。その様子が、なんかいつもの大佐らしくなくて、オレはなんだか変な気分になった。
「アンタは目まで黒いから、さぞや視界も暗くなるんだろうな」
オレはつとめて明るく言い放って、左手を伸ばして、大佐の目にかかる前髪を払ってやる。
「そうかもしれないな」
「ばあか、冗談」
苦く笑う大佐に笑って見せて、大佐の前髪の一房を引っ張った。
軽く接吻けて離れようとすると、オレの髪を梳いていた大佐の手が後頭部を押さえつけて深く接吻けられた。
「っ…」
接吻けは何時もよりも荒く感じられて、オレの思考が乱される。
熱い舌が、オレの理性の鎖を溶かしていくようだ。
大佐とキスをするといつもそうだ。こうやって理性のタガを外されて…。
言うはずじゃなかったことまでしゃべらされたり…ほかにもいろいろされたり…。
大佐の手が、オレのシャツのすそから進入してくる。
「ふ…まっ…」
接吻けを外そうと首を捻るオレを逃がすまいと、大佐は後頭部に添えた手に力を込めて角度を変えた。
逃げていた舌を絡め取られて、シャツのすそから進入した手が腰を引き寄せた。
「んん…」
こんなことしてる場合か、アンタは。とか、はなせ、エロ大佐。とか言いたいことはいっぱいあったが、そんなことは霞と消えた。
「はっ…あ」
オレの力が抜けたのを契機に、唇が離れた。オレは呼吸を整えようと喘ぐように息を吸った。
「あまり大きな声は出さないでくれよ」
「だ、から、こんなとこで…」
耳元で囁かれた言葉に、オレはこんなとこでやるな、と反撃したかったが、大佐の手の動きによって封じられた。ここをどこだと思ってんだ、馬鹿大佐。
机の下に引き寄せられて、全身をすっぽりと包まれる。
手は相変わらずシャツのすそから中に入ったままだけど、なんかそれだけで安心した。
狭い場所って、なんか安心する。机の下で、大佐の腕に包まれて。
思わず息を吐き出すと、大佐が笑った気配がした。
「こういう狭い場所は安心するだろう?」
オレは、同じ事を思っていたんだ、と少しだけ驚いて笑った。
こういう思考回路まで似ている、と言ってしまっていいものか。
前にアルが言っていたことを思い出す。オレと大佐は似ているのだと。
だが、次に続けられた言葉に、オレは前言を即座に撤回した。
「安心する場所で、こういうことをしていると…」
燃えないか?
耳を軽く噛まれて、耳朶に直接注ぎ込まれた言葉に、オレの背筋がぞくりと震えた。
「っ…!」
こ、のエロ大佐!
一瞬にして耳まで赤くなった自覚がある。息を吸って文句を言ってやろうと口をひらいたところで、大佐が口を塞いできた。
話はどうやらここまでらしい。舌と手の動きが本格的にオレを落とそうとしてきていた。オレも口を開けば言葉にはならないだろう声が漏れそうだ。
せめてもの反撃に、オレは大佐の軍服の襟を開いて肩に噛み付いてやった。
「つっ…」
大佐の小さな声が近くで聞こえる。
「声、出すなっつったよな…、だから、協力、しろ…っ」
囁くような掠れた声で言えば、大佐は了解した、とやけに余裕のある声で返した。
オレの思考は霞がかったようにぼけていく。大佐の手に与えられる熱が、オレのすべてを満たした。

「でさあ、なんでアンタ、あんなとこで寝てたんだ?」
服を整えて机の下から這い出したオレは、ソファに半分寝転ぶように体をしずめた。
無茶な体勢で居たせいか、体の節々が痛む。
列車の中や外で寝た後みたいだ。
ぐったりとソファに体を預けていると、大佐がコーヒーカップを二つ手にしてオレの向かいに腰をかけた。
「安心する、と言っただろう?」
カップをテーブルにおいて、大佐が背もたれに体を預けた。
「ふうん。ならそういうことにしといてやる」
オレはカップを手にして、にやりと笑った。
「あ、そうそう。もうそろそろ中尉が追加の書類を持ってくるころじゃないかな〜?」
大佐は口に当てていたカップを離して目を見張った。
「なに? そういうことは初めに…」
「言わせてくれなかったのは大佐じゃねえの〜?」
にやにやと片肘をついて見れば、大佐は額に手を当ててうつむいた。
「ま、十分休んだじゃねえか。仕事しろよ、大佐」
「いやいや。今日の仕事は終わりだよ、鋼の」
「そうは状況が許さないんじゃないの〜?」
焦ったような大佐がおもしろくて、ついいじめるような口調になってしまった。
まあ、本当にその瞬間ドアがノックされたから、オレの言葉は嘘でも冗談でもなくなってしまったんだけど。
中尉が手にいっぱいの書類を持って入ってきた。
見る見るうちに積まれていく書類に、大佐の顔が情けないものになっていく。こりゃあ残業確定か?
「大佐、早く終わらせりゃ夕飯は一緒にいけるかもな」
そうだなー、八時くらい?
と、先ほどのいじめの侘びをこめて声をかけてやった。一瞬、大佐が笑みを浮かべたのをオレは見逃さない。
「あら、いいご褒美ですね。じゃあ、八時までに大佐が終わらなかったら私と食事に行きましょうか。エドワードくん」
「あ、それいいね」
中尉が粋な提案をしてくるのに乗った。これで大佐も何時も以上に頑張ることだろう。
大佐の笑みが微妙に引きつったのを確認して、オレは立ち上がった。
「じゃ、オレ書庫にいるから。八時になったらどっちか迎えにきて」
「了解よ」
大佐が何かを言いたそうな顔をしたが、中尉ににらまれて大人しく自分の机に向かったようだった。
さて、今日の夕飯はどちらと取ることになるのか。
オレは中尉が来たらしばらくキスはお預けだ、と心に決めた。

end



初めはリザが出張る話だった気が(笑)
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