02: 書庫
東方司令部に寄ってみれば、青い軍服をまとった顔見知りの大人たちが固まっていた。
「なにやってんの?」
エドがトランクを片手に司令部の執務室に入ると、固まっていたうちの一人がハッとしたように入り口を振り返った。
「大将〜」
「てか、ここなんか寒くねえ?」
ハボックが近づいてくるのを見て、エドは空いている手で自分のコートの前を掴んであわせた。
「あー、冷気を発してる方がいらっしゃるから…」
「あら、エドワードくんじゃない。いらっしゃい」
ぞくりと背筋が凍った気がした。リザがコーヒーカップを片手に執務室に入ってきた。
手にしているカップからは湯気が出ていない。エドとハボックは顔を見合わせた。
「な」
「うん、なんとなくわかった」
エドはトランクを下ろして、ポケットに手を入れる。
「どうせあの無能大佐がまたさぼってどっか行っちまったとか言うんだろ?」
はい、とリザにポケットから出した手を差し出す。
「なにかしら?」
リザはためらいもなく手を出してその上で開かれた手のひらから落ちたものを受け止める。
「疲れてるみてえだからさ、おすそ分け。オレの非常食」
「ありがとう」
驚いたように手のひらの中の包み紙を見て、リザは微笑んだ。両端が捻られたキャンディーのような形のチョコレート。リザはコーヒーを置いて、包み紙を開けた。小さな茶色いかけらに、エドの心遣いに、こわばっていた心が解れた気がした。冷気が少しだけ緩んで、他の面子からもほっとしたような気配が漂った。
「大佐を見つけたら怒っといてやるからさ」
「ええ、よっく怒っといて」
エドとリザは顔を見合わせて笑った。

エドは執務室から出て、書庫に向かう。
元々そのつもりでここを訪れたのだ。アルは一般人なので駅で別れて図書館に詰めている。リザから鍵を受け取ってエドは奥まったところにある書庫を目指した。
ここには図書館では見ることのできない貴重な文献もあって、エドにとっては宝の山だ。まだ全部に目を通したわけではないので、寄れる時にはちょくちょく寄っていくことにしていた。
ただ、あんまりお目にかかりたくない人物もいるので、積極的に来たい場所でもないのがちょっとしたジレンマだった。
「今日は居なくてよかったな。中尉がかわいそうだけどさ」
サボり魔万歳、とエドは鼻歌交じりに預かった鍵を書庫の扉に差し込んだ。かしゃんと軽い音がして鍵が開く。
「さーって、今日はどこから…」
機嫌よく扉を開けて、そのまま勢いよく閉めた。
しばらく閉めた手を不思議そうに見て、エドは今目に飛び込んできた映像をリピートしようとして…。やめた。
「こんなとこでさぼってんじゃねえよ…」
サボっていること自体は万歳の方向だが、その場所は大問題だ。人が篭ろうとしている場所でサボられては、こっちの責任問題にまで発展しかねない。怒っとく、としか言っていないのだからそれだけでいいのだろうが。でもやはりリザには報告しないと…後が怖い。
「面倒だけど報告しとくか…って、うわ!!」
呟いた声は驚きに変わる。扉が急に開いて、暗がりから手がにゅうっと伸びてきた。そのままぐいっと力任せに引きずり込まれて扉が閉められた。
放り出される荷物のように転がり込んだエドが抗議の声を上げる前に、鍵の閉められた音が響いた。
「なっにしやがる!」
「報告は待ちたまえ、鋼の」
やっと抗議の声を上げたエドに、ため息のような声が降ってくる。
まだ床に座りこんだままのエドに近づいてくる足音は、いつもの高らかなものではなく、ひそやかに音を消していた。
こんな歩き方できるのか。
と軍人に対して失礼なことを思っていると、目の前までやってきた足音が止まって、そのまましゃがみこんだ。
「なっ。いきなり顔近づけんなよ」
「ほう。君は見下ろされる方がお好みか」
「ごめんだ、サボり魔」
睨みつけて言ってやると、目の前まで来てやっと顔がわかる暗がりの中で認めた黒い眼が笑いに細められた。
「そう、私は今、まさにそのサボりを実行中でね。報告をされると非常にまずいことになるのだよ」
「…中尉、氷点下だったぞ」
もうばれてしまったのか。とロイはあごに手を掛けて困ったようにうなった。
「もう少しだけ、サボっていたかったのだがね。鋼のにも会えたことだし」
エドが目を見張る間に、ロイは立ち上がった。うーんと背伸びをして、背を向ける。
その様子を見て、エドは少しだけ焦ったようにロイの長く伸びた布を握った。
歩き出そうとしていたロイは引き連れるすそにつんのめるようにして止まった。
「なにを…」
「オレに、会いたかった?」
右手を床について、左手ですそを掴んで見上げる様はまるで仔猫のようだった。いつもの生意気な険を含む瞳が不安に揺れているようにも思えた。それはこの暗闇だからそう見えたのか。いや、子供が油断をしていたのだ。
ロイはそんな子供の様子に、目を瞬いた。
「なにかあったのか?」
優しく問いかければ、子供は顔を伏せてなんにもねえ、と強がりにしか聴こえない声で呟く。
「あ、そうだ。報告書。後でアンタに渡さなきゃいけねえんだから、ここで渡して報告しても同じだろ」
エドは取り繕うように、早口で言い募る。これ以上詮索されたくないとばかりに。
ロイはその様子に一瞬だけ目を眇めて見せて、でもエドの提案に乗ってやることにした。
「ふむ。そうだな。ではここで聞こうか。サボりの口実にもなるしな」
そうそう、とエドが笑う。その笑顔に吊られたように、ロイにも笑顔が浮かんだ。
この表情豊かな子供は、本当に肝心なところで表情を隠そうとする。誰もが騙されるその笑顔が、実は不安を隠す仮面にもなっていることに気付いたのはいつのことだったろうか。初めて見た顔が表情をなくした顔だったから気付いたのか。
「いや、違う、かな」
「なに?」
トランクから報告書を取り出していたエドが振り向いた。
いや、なんでもない。と手を振って見せて、ロイは口元を手のひらで覆った。
「ところで今回はどのくらい滞在する予定かね」
「ん? ここの蔵書、読みきっちまいたいからな。それまではここにいるよ」
「珍しく長くいられるようだね」
まあな、とトランクからやっと報告書を取り出したエドが体ごと振り返る。
「それは嬉しいね」
「え?」
エドの体を振り返りきる前に背中から抱き込んだ。そのまま自分の胸にもたれかからせるように抱え込んで、少しだけ腕の力を強める。
「逢えただけではなく、こうして引きとめてもらえて、しばらくは同じ街で暮らすことができる。それはとても嬉しいことだよ、鋼の」
耳元でささやく声は、少しだけ意識して低く、そして甘い。
エドの耳が見る間に赤くなっていくのがわかった。
「たらし。エロ大佐」
悪態も悪意がこめられていなければ耳に心地よいものだ。報告書を手にしたまま固まっているエドの髪に唇を寄せた。なにに不安になっているかまではわからないが、それでもこの腕の中ではそれを忘れることができるように、と。
「さあ、君の旅を聞かせておくれ。誰かがここにたどり着いてしまう前に」
エドはその甘い言葉に、扉を壁に練成してやりたい気持ちに駆られる。
誰かが探しになんて来なければいい。
そんな甘いことを考えるようになってしまった自分に、笑いがこみ上げる。
「こんなことしてる場合じゃないのにな」
「たまにはいいもんさ。サボるのも」
ロイの言葉にエドが笑う。
「あんたはしょっちゅうじゃん」
でも、本当に悪くない。
エドは首を捻って、ロイに接吻けを強請るように目を見つめた。
その想いを汲み取って、ロイがエドに接吻ける。触れるだけの柔らかなものを。
「こちらに滞在している間は、私を探してくれるかい?」
「またサボる気かよ」
呆れたように呟いて、それでもエドはしょーがねーなー、と笑う。その声にはもう不安の色は見えない。焦っていただけなのか、それともロイの気持ちを信じられていなかっただけなのか。ロイは滞在中にそれを聞くことができればいいと思った。
「じゃあ、見つけられたら食事一回おごりな」
エドの提示した条件にロイは笑う。それならぜひとも見つけてもらわなければならないな、そう囁いて、もう一度接吻けた。それは、契約の証。

それから、一定期間、ロイのサボり癖はひどくなった、とはリザの言。

end



砂袋の用意はいいですか〜。
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