07: 仮眠室
朝は確かにそこいいた。
書類を持ち込んだホークアイが確認済み。
その後昼の休みの後に、お伺いをたてに行ったフュリー曹長も確認済み。
さて、ではいつ大佐がいなくなったのか。
三時のおやつとお茶を持ってホークアイが執務室に入ると、窓が開け放たれたまま誰もいない椅子が待ち受けていた。
一気にホークアイの周囲の温度が下がる。
机の上の書類は見ればサインがされていないものが、半分以上残っていた。
ますますホークアイの周囲の気温が下がっていく。
ウッカリと顔を覗かせたブレダ少尉が、怪奇現象でも起こっているのではないかと錯覚しそうなほど気温を下げた部屋に身震いをして急いでドアを閉めた。
「どうした、ブレダ」
たまたま通りかかったハボックが丸めた書類を肩に当てて、小刻みに震えるブレダに声をかけた。ブレダは、扉を背で押さえたまま、ぶるぶると首を横に振って見せた。
「さっき中尉がおやつを大佐に持ってってたよなあ…。あ!!」
言葉も発することの出来ない様子のブレダを見て、考えるようにあごに手を当てたハボックは次の瞬間、思い至ったように声を上げた。
「まさか…」
扉を指差して、ぶるぶると震えだしたハボックはブレダがまるで人形のようにこくこくと勢い良く頷いたことで、確信を得る。
二人の心は今、一つになった。
この中は地獄だ!!
次の瞬間、二人は急いでその場から逃げようと廊下を反対の方向に体を向けてダッシュをかました。
だが、ほんの一瞬遅かったようだ。
地獄の窯の蓋は開いてしまった。
「そこの二人!」
冷気をまとって凍える声が二人の足をその場に縫いとめる。
ぎぎぎと音がしそうなほど凍りついた体を無理やり振り向かせて、直立の姿勢をとった。
「な、なんでしょうか」
「貴方たち、大佐をみかけなかった?」
前髪が両目を隠してはいるが、その声は如実にホークアイの心中を表している。
その口元から白い息が見えないのが不思議なほど、ホークアイを中心に冷気が溢れていた。
ハボックとブレダは顔を真っ青にしながら首を振る。
「そう。ならば、探してきてちょうだい。このままだと、全員確実に今日も帰れなくなるわよ」
それでもいいなら、放っておいてもいいけれど。そう呟くホークアイにハボックとブレダの目の色が変わった。
先日の小さな、だが確実に迷惑をかけた(主に東方司令部に)テロのせいで、ここ二三日まともに家に帰れない日が続いた。これ以上家のベッドで眠れない日が続けば、確実に業務に支障が出ることは想像に難くない。
「了解いたしました! 全力を持って、大佐を探し出してみせます!」
びしっと踵をつけて敬礼をした二人は、今度こそ反対の方向に走り出した。
「まったく…余計な仕事を増やしてくれるものだわ」
ホークアイは呟いて、手にしたカップの中身が冷え切っているのを見つめていた。
「ったく。どこ行ったんだ〜」
ハボックは、まず喫煙所を覗いた。銜えていた煙草に火をつけて、深く煙を吸い込む。一度は凍り付いてしまった思考回路がクリアになって行く気がする。
「大佐も家に帰ってない。というか、あんまり寝てないよな…」
ふと自分ならどこに行くだろうか、と考えて真っ先に思いついたのは仮眠室。
「もしくは、シャワー室か」
どちらも同じ廊下のならびにある。ハボックは短くなった煙草を灰皿に押し付けると、難儀そうに立ち上がった。
「とりあえず見てみっか」
あくびと一緒に伸びをして、ハボックは歩き出した。
「ついでにオレもシャワーでも浴びて、目ぇ覚ますかな」
ハボックはごきごきと鳴る体に眉をしかめて、ただでさえ眠そうな目をこすった。
ぼけーっと歩いて、足を止める。
まずは、シャワー室だ。
「失礼しますよ、と」
覗き込むが、シャワーの音は聞こえない。
ここにはいないようだ。
ハボックはひょいと片眉をあげて、それでも念のため、とシャワー室の中に入ってぐるりと見回した。
隠れる場所はない。ハボックは、まあ予想通りだったことを確認してからシャワー室を後にした。
次は仮眠室。
ここが一番確立的には高い。
「お邪魔しますよ」
今の時間に眠りこけているやつがいれば見てみたい。というよりもたたき起こしてやる。自分がこんなに眠い中予定外の仕事を押し付けられているのだ。それくらいの権利はあってしかるべきだ。
そんなことを思いながら扉を開ける。
案の定、見える範囲のベッドは空っぽだった。…見える範囲には。
ハボックはかすかに聞こえてきた衣擦れの音に、ぴくりと眉をあげる。
「まさか、大佐。本当に寝てんじゃねーだろうなー」
出来ればいて欲しくはなかった。確率的には高いとは思っても、実際にいればそれはそれでむかつくわけで。
「大佐ー。いないでくださいよー」
誰か違う人が寝ていてもかまわない。もともと起こすつもりだったのだ。
ハボックは声を上げて、奥へと足をすすめる。
「たーい…っと」
ひょいと奥を覗き込む。と、そこには目的の人物ではないが見知った顔が眠っていた。
ハボックの声にも反応を示すことはなく、毛布にくるまるようにして枕に顔を埋めていた。ハボックはその様子に声を潜める。軍人が寝ているのであれば即刻たたき起こして大佐の捜索を手伝わせるところだが、この子供と言ってもいい年頃の少年は軍属であっても軍人ではない。
大方昨日から書庫に篭っていたようだから、そのまま徹夜でもして明け方にここにもぐりこんだんだろう。そう検討をつけて、ハボックはその寝顔を覗き込んだ。
「こうしてりゃあ、ただの子供なんだけどな」
起きれば「ただの」は消えて「鋼の錬金術師」という肩書きがつく。小生意気で、でも素直でいい子だと、ハボックは思う。
金髪の頭に手を軽く置いて、他にだれかいないかを確認する。
手の下でかすかに身じろぎした気配を感じて、ハボックは手をそっとどけた。
「ま、もう少し寝てればいいさ。大佐がここに来たら、司令部の気温が氷点下になる前に戻ってきてくれと伝えてくれ」
金髪の頭が再び身じろぐのを見て、ハボックは微笑んだ。
「んじゃ。また〜」
ハボックが扉を開けて出て行く。
その足音が遠ざかるのを感覚を総動員して、確認する。
金髪の頭がごそごそと動いて、毛布を引き下げた。
「おい、あれ、気付いてるぞ、絶対」
ごんごんと足でベッドの床を蹴る。
「の、ようだな」
ベッドの下から声がして、もぞもぞという表現がぴったりきそうな様子でもぐりだしてきたのは黒髪の男だった。
「ハボックも馬鹿じゃないからな。勘はいい男だし」
「ひでえ言い方。ったく、仕事は終わらせてから来いって言わなかったっけ?」
大佐? と問いかけるように下を覗き込んだエドワードは、シャツが埃まみれになった男の姿に遠慮ない笑い声を上げた。
「仕事は半分方終わらせてきたのだぞ」
「半分じゃあ、探しにくるのも当たり前だ」
エドワードの言葉は容赦ない。ロイはため息をついて、埃を叩き落す。
「これでも我慢していた方だ。君が近くにいるとわかっているのに三日も会えない日が続いたのだぞ」
これまで我慢していた私をほめて欲しいくらいだ。とベッドの端に腰掛けてエドワードの頭を引き寄せる。
「そういうことさらりと言っちまうから無能とか言われんじゃねえの?」
接吻けようと顔を傾けたところで、真顔で言われてはロイの表情も引きつってしまうものだ。
「まったく、そういうかわいいことを言うと、私の理性のタガを外してしまうことを自覚していないようだね」
「あん? なに言って…っ」
エドワードの視界がふさがれる直前に見たロイの表情は、嫌味そのものの顔で…。エドワードは失敗したことを悟る。接吻けが深くなるのにあわせて、エドワードの毛布を握る手に力が込められた。
「っは…早く戻らないと、怒られるんじゃねえ、の?」
息が上がるのは呼吸が苦しかったせい、と自分に言い聞かせながら、首筋に唇を落とすロイの髪を掴んだ。
「疲れも眠気も限界だ。少しくらい充電させてくれてもいいだろう?」
「…っ!」
べろりと舐められて、エドワードが唇を噛んだ。それからため息をつく。
「オレも相当甘いぜ…。しょうがねえな。少しだけだぞ」
ぼそりと呟いて、ロイの髪から手を離した。
ロイはその許しに笑みを見せて、エドワードの鎖骨に唇を落とした。
「だから、氷点下になる前に戻れって言ったでしょうが!!」
ハボックはコートを着込み、廊下であくびをかみ殺しながら歩いてくるロイを待ち受けていた。
「あー、悪かった。これで暖かいものでもみんなに振舞ってやってくれ」
ロイは財布から札を取り出すと、ハボックの手に落とす。
ハボックはそれを握り締めて、それでも恨みがましい目を向けた。その様子を見て、ロイはにやりと笑う。
「充電は済んだから、今日は定時で上がらせてやろう。見てろ」
ハボックは、その笑みを見て、いっそ頼もしい思いがして目の前が明るくなった気がした。
「本当ですね! 信じてますから!」
ハボックは札を握ったまま、食堂に走りだした。それに手を上げてみせて、ロイは自分の執務室に篭った。
「大将にゃ大変なことになったんだろうが、俺たちにとってはエド様様だな」
先ほどまでの暗雲は晴れ、ハボックの足取りは軽かった。
ハボックがスキップでもしそうな足取りで廊下を走りぬけている頃。
「あんにゃろう…。甘い顔すんじゃなかったぜ…」
エドワードは、痛む腰を押さえてロイに対する恨み言を連ねていたのだった…。
end