09: 喫煙所
ハボックが、口に銜えていた火のついていない煙草をポロリと取り落とした。
いつものように眠い目をこすりながら仮眠室から出てきて、喫煙所への角をまがった瞬間の出来事だった。
ふわあ、と大口を開けてあくびをして、喫煙所が待ちきれないように煙草を銜えて歩いていた。廊下の端っこの窓の下に隔離された喫煙所は、ハボックの他の誰も近寄らないので絶好の息抜き場になっている。
…はずだったのに。
「なんであんたがいるんすか」
しかもこんな朝早くから。
ハボックが落とした煙草を拾いもせずに呆然と口にすると、ここにいるはずもない人物がゆっくりとこちらに目を向けた。
「やあ、おはよう。いい目覚めだったかね、ハボック少尉」
片手を上げて、おおよそこんな場所には用がないだろう男は、朝日の中で偉く爽やかに挨拶を返す。
「おはよございます。大佐」
ハボックはため息をつきながら落とした煙草を拾って、ロイの隣に腰を下ろした。
「で、なんでこんなとこに?」
「ちょっと息抜きにね。疲れたから煙草でもと思ったんだが」
その手にはコーヒーの入ったカップがあった。
「煙草、持ってましたっけ?」
「ああ、机に一応な。先ほど吸ったのでなくなってしまったが」
へえ、と知らなかった一面を見せられて、ハボックは少し目を見張った。
「こんな時間にいるってことは、徹夜っすか。当直じゃないっすよね」
「ああ。結果は当直と変わらなくなってしまったがね」
よく見れば、目の下にうっすらと隈が出ていた。目も少しだけ充血しているようにも思える。
「昨夜は中尉がはた迷惑なプレゼントを用意してくれていてね。お陰で朝まで討論大会だ」
肩に手を置いてごきごきと首を回すロイに、ハボックはプレゼント? と首を傾げた。
「鋼のが来ていてね」
ロイがハボックの胸ポケットから勝手に煙草を取り出して一本抜いた。
ハボックが目を瞬いて、ロイの手にある煙草とその顔を何度も確認するように見た。
「大将が? で、今はどこに?」
「疑問が解決したとたんに、すっきりした顔をして朝一番の列車に乗ると走りだして行ったよ」
「はあ〜、大将らしいっつーか、なんつーか」
発火布をつけていなかったので、ライターで火をつけているロイを横目で見て、お疲れさまでした、と笑った。
ロイが心底疲れたように、でもどこかしら満足したように煙を吐き出した。
「こちらはまだ中尉の置いていった仕事を片付けていないのだがね」
「え?! それ、やばくないっすか」
「やばいもやばい。というわけで私は午前中はここで過ごすことにするよ」
ここなら、中尉も気付くまい。そう言って壁に頭を持たせかける。すでに寝ようかという体勢に入ったロイに、ハボックはあわてた。
「いや、ちょっとそれは」
「元はと言えばお目付け役にと置いていった中尉の見込み違いということだしな、多少は多目に見てもらえるんじゃないかと」
「なら、自分でそう言ってくださいよ」
遠い目をするロイに、ハボックが煙草の灰を落としながら抗議する。が、ロイはじとりと恨みがましい目を向けた。
「疲れているのにそんな無駄になるかもしれない労力は使いたくない」
本気で疲れているようなロイに、ハボックは天井を仰いだ。
「…まあ、一理ありますが」
「だろう」
と、本気の目で振り向いたロイに笑って、ハボックはしょうがないですね、とリザに報告するための言い訳を考え始めた。

その後、執務室についたハボックは、早速氷点下にまで落ちていた室内に背筋を震わせた。
「ハボック少尉」
「は、はいぃ!」
冷気の発生源であるリザが冷たい声音でハボックを呼ぶ。
ぎくしゃくと冷気で固まってしまった関節を動かして、首をめぐらせた。
すぐ後ろにリザがいた。
気配も感じなかったぞ。
背筋に冷や汗が流れる。先ほど一生懸命考えた言い訳は、完全に頭から飛んだ。
「大佐を見なかったかしら。あなた、昨夜当直だったわよね」
「見ませんでした! 自分は3時ごろ仮眠を取っておりましたので!」
必要以上に大声になってしまうハボックに向ける同僚の目に、同情の色が浮かんでいたが、それを見ることもできなかった。
「そう。それならいいの」
くるりと背を向けたリザに、ハボックは直立不動の背をため息とともに緩めた。
「誰も帰るところを見てないのに、大佐はいない。エドワード君もいない」
ぼそぼそと独り言のように呟くリザから発生する冷気は、とどまるところを知らない。
このままでは東方司令部内で凍死者が出てしまうかもしれない。
ハボックはごくりとつばを飲み込んだ。
――大佐、すみません!! 仲間のためっす!
「実は…」
ハボックの告げ口によって、ロイが捕獲されるまであと10分。
喫煙所までは1分もかからないのにそれだけの時間がかかったのはリザの慈悲か。
東方司令部きっての色男の悲鳴が聞こえたのを完全無視して、本日の業務も恙無く進行していた。
当直明けのハボックのあくびは、午後から鬼のように追加された仕事によってかき消されることになる。
それはもちろん告げ口した部下への上官からの報復にほかならない。
ハボックはうらみのこもった目をロイのいる執務室に向けたが、その日夜中までその扉がひらかれることはなかった。

end



昨夜の様子は本当に討論だけだったのかはロイのみぞ知る。
このお題のindexに戻る
お題のindexに戻る