嘘
A
――うそつき
電話の向こうの声は穏やかでやさしくボクの中に響いてくる。
『鋼のは、書斎で資料を読んでいたのだが、寝てしまっていてね。こんな時間に起こして帰すわけにもいかないから今夜はこちらに泊めることにしようと思うのだが』
そう切り出された言葉に、ボクは思わず口にしそうになった言葉を胸の中に押しとどめる。
「そう、ですか。それじゃあ、お願いしますね」
『ああ、心配しなくても明日の昼までにはそちらに帰れるように手配しよう』
いつ帰ってくるのかなんて重要じゃない。ボクの胸の内を一瞬にして満たした黒い塊。その重みに耐え切れなくなったようにボクの手は知らずの内に握り締められている。
「兄さん、寝るときお腹出してることが多いんで、気をつけてあげてくださいね」
ボクができるだけにこやかに聴こえるように、努めて明るい声で告げると、電話の向こうの声が一瞬沈黙した。
『了解した。後で書斎を覗いてみるよ』
それじゃあ、お願いします。
と言って、ボクは受話器を戻した。
――うそつき
どんなに遅くなっても、兄さんがボクの元へ帰らないなんてことはなかった。
資料に没頭していても、ボクの声は聴こえないなんてこともないように。
ボクたちの絆は深い。
でも、兄さんはきっといつかボクから離れていくんだろう。とも思う。
だけど、まだ今じゃない。
体を取り戻して、お互いが自分の足で立ち上がることができたら…。
そのときなら、この手を離せるかもしれないけど。
――兄さん
まだ、あの人の所へ行っちゃわないで。
ボクの手を離さないで。
夜の闇は、まだ、こんなに深い…。
E
――この、うそつき野郎
オレは降ってくる、穏やかな声を受け止めて、半目を開けた。
ソファで寝そべって文献を読んでいるうちに、寝入ってしまったのは真実。
だけど、この男は、アルに対してつかなくてもいいような嘘を実しやかに話している。
「了解した。後で書斎を覗いてみるよ」
そう言って受話器を置いた音に、オレはまた目を閉じた。
ソファの背もたれ側に向かって寝そべっているから、上から覗かれたとしても、オレの顔は見えない。
「鋼の。こんなところで寝ては風邪を引く」
肩を揺すられるが、オレは目を瞑ったままされるがままに揺れていた。
ここで目を覚まして、宿に帰っちまおうか。
そう頭では思っている。けど…。
声が優しくて、手のひらは温かくて。
どうにもここから抜け出すことができない。
司令部では決して感じることのない温度。
それが、オレの弱い部分を掴んでしまう。
「…なんで、嘘ついた」
「起きていたのか」
「あんたの声で起きた」
「そうか。アルフォンスには連絡を入れておいたよ」
「…わかってる」
オレが言いながら体を起こすと、大佐は軽く目を瞠った。
「おや、てっきりすぐに帰るとでも言うかと思ったが」
「言って欲しいか」
軽く睨みつけるオレに大佐は腰をかがめて軽くキスをした。
「起きていたのに、あの電話を止めなかった。それは少しは期待してもいいということかな?」
「…なんの期待だ」
オレが眉を寄せて見せると、大佐はくつくつと笑った。
わかっている。
オレだって、こんな嫌っているフリなんてもうばれてるってこと。
それでも、オレはまだ…。
うそつきなのは、オレだ。アルに対しても、大佐に対しても。
自分に対しても。
――そんなこと、とっくにわかってる。
オレはただ、目を閉じた。
R
――嘘をついてでも…
手に入れたい。ここに、この場所に留めておきたかった。
君が寝てしまったことをいいことに。
アルフォンスの牽制もとっさに受け流せないほどに。
アルフォンスにはすべてが嘘だということは気づかれていることだろう。
あの子は私のことを嫌っている。
大事な兄を取られると本能的に悟っているのだろう。
受話器を置いて振り返れば、こちらに背を向けてソファの上で丸まって眠っている少年が一人。
「こんなところで寝ては風邪を引く」
実のところ、前々から起きていることは知っていた。
電話を邪魔されるかとも、思った。
アルフォンスを大事にしているこの少年が、一人でここに泊まるなどということを許すはずもないと思っていた。
だから、実際のところ、ここまで黙っていたことが一番の驚きだった。
そして、淡い、期待。
これまで注ぎ込んできた、小さな嘘と真実を織り交ぜた毒のような囁きが実を結んだのだろうか。
今までの経験ではありえないほどに手間を掛けた、罠。
これまでつきあってきた女性との恋愛はただのゲームだったと思わせるほどの。
――嘘のような話だがな
アルフォンスがいくら手放したくないと思っても。
エドワードがいくら私への想いを隠したくても。
そんなものは容赦なく潰させてもらうよ。
だから、ここまでおいで。
傷つけて、ぼろぼろにして、繋ぎとめてやろう。
――嘘を吐くのは慣れている。
覚悟が出来たら、ここへおいで。
「好きだよ、鋼の」
好きだなんて言葉は嘘だ。
そんな言葉じゃ生ぬるい。
だから、何度でも言ってあげよう。
小さな毒を含んだ嘘を。
「オレは好きじゃねえよ」
少年の嘘はほほえましく、そして憎らしい。
やわらかい頬に手を添えて、キスを落とす。
少年は抵抗もせずにそれを受け入れた。
笑みを隠して、まっすぐに見つめれば、少年もまっすぐ見返した。
この瞳を手に入れる。
それまでは嘘を吐き続けよう。
好きだ、という嘘を。
いろんな嘘。いや、わけわかんないかも(笑)
ロイさんのが一番わかんなかったよ。ロイって難しい。この人の心情って難しいな…。
私がお子様だからか!?
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