珈琲中毒 Ever.
気がつけば、珈琲が目の前にある。
 本を読んでいても、報告書を書いているときも、何かを飲みたいな、と思うと珈琲を手にしていた。
 今も、まさに手には珈琲。いやいや、カフェに入ったのだから珈琲を飲むのは当たり前だろ、と頭の片隅では思うが、なんとなく一度気になってしまうと、釈然としない気分が湧き上ってくる。
「…珈琲ねえ」
 金を払って、アルの座る席に向かう途中で思わず呟いてしまった。
 その声を聞きつけたのか、アルが読んでいた本から顔を上げて目を瞬かせた。
「そういえば、最近よく飲むよね、珈琲ばっかり」
 アルの前の席について、珈琲カップを口に運ぶ。
 熱くて苦い液体が喉を通るのを感じて、ほっとため息をついた。
「やっぱりアルもそう思うか?」
 カップを見つめながら、頬杖をつく。
 ふと見れば、アルがくすくすと笑い声を上げている。
「なんだよ」
 思わず眉間にしわが寄る。
「なんかさ、そうやってると大佐思い出すなあって」
 オレは思わず手にしていたマグカップをテーブルにたたきつけるように置いてしまった。勢いあまって跳ねた珈琲が左手にかかる。
「あっちぃ!」
「兄さん!」
 熱さに飛び上がったオレに、アルが慌てて立ち上がる。
「あ、いや、大丈夫」
 店員が何事かとこちらを伺っていたのを見て、オレは左手を押さえて、咳払いをした。
 アルにも目配せして席につかせると、店員は何事もなかったかのようにまた仕事に戻っていった。ただでさえ変に目立つオレたちだ。ここで睨まれて追い出されるのもおもしろくない。
「ったく、お前が変なこと言うからだなあ…」
「だって、本当にそう思ったんだもん」
 テーブルクロスで手にかかった珈琲を拭きながらアルに小声で言うと、アルは小さくなりながらも不満そうな声を出した。
「いつも珈琲飲んでるしさ、書類とかとにらめっこしてても珈琲は手放さないじゃない? あれは珈琲中毒って言ってもいいんじゃないかなあ」
 珈琲飲んでりゃ大佐かよ、とオレはいささか呆れ顔になるのを抑えられなかった。
「兄さんだって、最近そうじゃない」
 やっぱり一緒にいる時間が長くなると似るのかな?
 アルが呟くようにこっそりと声にした言葉に、オレは再びガタッと椅子を鳴らした。
 店員がちらりとオレたちをみたが、そんなことにはかまってられない。
「誰と誰が似るって!?」
「だから、大佐と兄さん」
 揺れて倒れそうになる珈琲カップを押さえて、アルがのほほんと告げた。その言葉に軽くショックを受けて、オレはどさっと椅子に沈み込んだ。
「うーわー、ショック!」
 というか、アルに指摘されるほど、アイツと似てきたってのがショック。それも無意識だってのがタチわりぃ。
「いいじゃない。仲がいい証拠でしょ?」
 オレはしかめ面を作って、珈琲を音を立ててすすった。むっつりと窓の外を見ていると、ふと目に入ったよく見知ったような背格好の人影に、思わず目を眇める。
「あれ? 噂をすれば…?」
「お前にも見えるか」
「うん。兄さんの願望の幻じゃないみたいだよ」
 …それは、いったいどういう意味でしょうか。
 と口にはせずに、オレは顔をしかめた。
 その人物は、オレたちには気付く様子もなく、窓の前を通り過ぎて入り口の方へ向かった。
 オレたちは黙ってその人物の姿を目で追った。
「兄さん、なんか約束でもしてたの?」
「…いや」
 二人に観察されているとも気付いていないだろう人物は、ちらりともこちらを見ないまま、レジに向かった。
 約束もなにも、イーストシティに来ることさえ告げていない。
 何かを注文しているらしい男は、結構な時間をそこで費やしていた。
「…なんかたくさん注文してない?」
「ああ」
「今日も夜勤なのかな?」
「どうだろうな」
「残念だったね、兄さん」
「…なにがだ」
 こそこそと話していると、頭の上が翳った。アルとオレは顔を見合わせてから、同時に上を見上げた。
「なにをこそこそしているのかね」
「よ、よお、大佐」
「こんにちは、マスタング大佐」
 頭の上にかざされていたトレーがどかされて、嫌味な顔が覗いた。流石に見つかってしまったらしい。露骨に嫌な顔をしたつもりだったが、大佐は何処拭く風だ。
「司令部に顔も出さずに優雅な珈琲タイムかね」
 トレーをテーブルにおいて、断りもなしにオレの隣に座った。つっても、正方形のテーブルだから空いてる席はオレの隣になっちまうんだが。
「そういうアンタは、またサボりですか?」
 オレはマグカップで口元を隠して、目だけを上げた。
 今はまだ終業時間には程遠い時間。
 同じテーブルについたのを目で抗議したつもりだったが、大佐にはまったく通じてないようだった。
 涼しい顔で、トレーの上のオープンサンドに手を伸ばしてちらりと流し目をくれる。
「残念ながら、仕事は滞りなく終わったよ。今朝の10時にね」
「え? 徹夜ってことですか?」
 アルの驚いた声に、大佐は苦笑してオープンサンドに噛み付いた。
「あー、それはそれはお疲れでしょう。邪魔するのも悪いし、オレたちはそろそろ…」
「え? 兄さん、待ってよ」
 オレがカップを持って立ち上がろうとすると、アルが慌ててオレの腕を掴んだ。
 しかも、オレが珈琲を持っている方の腕を…。
 結果。
「…君たちは、私になにか恨みでもあったかね?」
 オレの左隣にいた大佐の右足太ももあたりの上で、カップが大幅に傾いた。
 たーっと流れる琥珀色の液体が、一瞬だけ弾いてから滲みこんでいく様子が目に入る。
「一応、軽い防水なんだな…」
「言いたいことはそれだけか」
「ごめんなさい! 大佐! 大丈夫ですか!?」
 大佐がポケットに手を入れた。発火布でも出てくるのかと思いきや、大佐はすぐに手を出した。オレが冷静に様子を観察している目の前で、アルが慌てたように立ち上がって、店員の方へ向かう。すぐにふきんを貰ってきて、大佐の足をふきんで拭こうとすると、大佐の手に止められた。
「大丈夫だよ。アルフォンス」
 そしてちらりとオレをみる。アルまでオレを見上げた。
「あー…、悪かったよ」
 しぶしぶオレが謝りの言葉を口にすると、大佐が口の端を上げた。
「悪いと思うなら、私の朝食に付き合いたまえ」
 一人で食べるのも味気ない。そう言って、大佐はふきんをテーブルにおいて、自分のカップを手に取った。
 朝食って時間でもねえだろうに。…まあ、今日になって初めて食うなら朝食と称してもいいのかもしれないが。
「兄さん」
 アルのたしなめるような声がオレの思考を断ち切り、席に戻す。
 元はと言えばなあ…。
 少々恨めしい気持ちでアルを見るが、アルはオレのトランクを手に取って立ち上がっていた。
「アル?」
 オレの問いかけは無視された。しかも、大佐の耳元で何事かを囁いている。
 …おーい。兄ちゃんは寂しいぞ。
 大佐はアルの言葉に目を瞠って、それからにやりと笑ってオレを見る。
 のけものにされている上に、なにやらまずいことを言われている気がする。
 オレは半分以上減ってしまったカップの中身をすすって、恨めしげに仲のよさ気な二人を見た。
「ということで、後はお願いしますね、大佐」
「ああ、了解した」
「あ? なんだ、なんだ!?」
 勝手に二人で話を決めるな! てか、アル、何処行くんだ!?
 オレの慌てふためく心をよそに、アルは手を振って出口に向かい、大佐はにこやかに右手を振り返していた。
 オレも慌ててアルの後を追おうと立ち上がろうとするが、今度は大佐の手がオレの腕を掴んだ。
「なんだよ」
「君は私の朝食に付き合う約束だ」
 さらりと言われて、オレは席に逆戻り。今日はこんなんばっかりだ。てかオレだけなのかよ…。
 と、いきなりオレの目の前に大佐が何かを差し出した。オレはなにも考えずに反射的に口に銜える。
 あっめえーーーー!!
 オレは口に入れたとたん感じた甘みに、目を見開いた。銜えてしまった以上吐き出すわけにもいかない、と、一口噛みきってから右手で掴むと同時に左手でカップを取って珈琲で胃に流し込んだ。
「ぶはーっ! なんだこりゃあ!」
「…鋼の」
 呆れ顔の大佐にはかまわず、手にした物を見る。それは砂糖まみれのドーナツ。
「…アンタ、ドーナツなんて食うんだ」
 なんか意外だ。甘いものなんか食いませんって顔してんのに。
「…疲れててね。たまには私だって甘いものが欲しくなるときもある。夜勤明けには特にね」
「じゃあ、オレなんかに食わせてないでアンタが食えってんだ」
 呟きながら口の周りについた砂糖を拭いて、大佐の顔を見る。
 大佐は澄ました表情をしているが、確かに疲れた顔してる。
 オレは、ふと思いついて手にしたままのドーナツを大佐の顔の前に持っていった。
「はい、あーん」
「…なんの嫌がらせかね」
 ドーナツを見つめながら、大佐が眉をひそめた。
「いやいや。オレなりの疲れた大佐へのサービス」
 にっこり笑って言ってやると、大佐が一つため息を落とした。食べかけのオープンサンドを置いて、一口ドーナツを齧る。
「甘いな」
「だろ」
「しかし、砂糖には疲れた脳を活性化させるとともに、珈琲のカフェインも打ち消す効果がある。珈琲に溶かさないで取った場合にも効果があるかは微妙だが」
 親指で口元をぬぐいながらの台詞にオレは目を丸くする。
 知ってたか? と聞かれれば、知ってる、と答えるしかなくて。
「最近珈琲ばかりを飲んでいると、アルフォンスが心配していたぞ」
 大佐がちらりとオレを見る。オレは即座に目を反らして、天井を見上げた。
「そんな心配されるほど飲んでねえよ」
 嘘だ。気付けば珈琲を手にしている自分を先ほどしっかり自覚したばかり。
 オレの迷いは顔に出ていたのだろうか。
 大佐がため息を吐いて、オレの頬に指を伸ばした。ザリっという感触がした。
 砂糖でもついていたのだろう。大佐は指についた砂糖を舐め取って、にやりと笑う。
「まったく誰の影響だろうね。君の珈琲中毒は」
 オレは天井を仰いで、額に手を当てる。そのまま、横目で大佐を見た。
「…誰のせいでしょおねえ」
 自棄っぱちで呟くと、大佐がニヤニヤと笑っている。いつのまに食い終わったのか、珈琲だけを手にしていた。
 どんなカップでも、大佐が持てば中身は珈琲。そんな図式が頭の中でできあがってる気がする。
 それは、体に染み付いた練成陣を思い描く事と同じくらい簡単に思い浮かぶ。
 やっぱりコイツの影響かな。
 オレは、大佐を見ながらすとんと腑に落ちた気分で、テーブルに頬杖をつく。
「さて、デートもいいが、私は着替えたいのだがね。君も来るかい?」
 ひらひらとスカート部分を持ち上げて、珈琲が染みになってしまった部分を見せ付ける。それはお誘いっていうよりも、軽い脅迫ってーんだぞ。
 オレはため息を吐いて、珈琲を飲み干した。
「美味い珈琲出してくれるならな」
 カップを持って立ち上がると、大佐が軽く目を瞠った。
「なるほど。これは立派に中毒だ」
 くくっと笑って、トレーを持つ大佐を睨んでオレはカップを返却台に返しに向かった。





 家に着いたとたん、大佐は奥の自室へと向かってしまった。
 オレはコートを脱いで、居間のソファに身を沈めた。
 ここんちのソファ、いいもんなんだろうな。固すぎもせず、柔らかすぎもせず。心地よい弾力がオレの背中を受け止める。ブーツの足を肘掛に上げて寝転がる。右手を枕に左手は床に垂らしたまま。
 遠くに人が動く気配を感じる。
 夜勤明けなんだったら、カフェで見かけたとしても勝手に食って、さっさと帰ってシャワーでも浴びて寝ちまえばいいのに。
「オレなんか放っておけよ…」
 呟いて、目を閉じる。いつもよりも緩慢な動きに聴こえる足音が近づいてくる。
 そんなに疲れてるのに、オレになんて、かまうな。
 でも…
 オレの心はオレの思考を裏切るように、嬉しいんだ、と呟いた。
「寝ているのか? 鋼の」
 力を入れないで囁く声が心地よくて、オレは目を閉じたまま黙っていた。
 目蓋を通しても感じていた光が遮られる。唇に冷たいものを感じて、目を開けた。
「…なに、してんだよ」
「目覚めのキスを」
 微笑って見下ろす大佐に、オレは顔をしかめた。
「姫なんて柄じゃねえ」
「当たり前だ。こんなごつい姫がいてたまるか」
 大佐はそのまま台所へと向かった。オレはますます眉間にしわが寄るのを意識した。
「珈琲中毒の君にはとっておきを出してやろう」
 楽しみにしていたまえ。
 大佐はどこか楽しそうに、そう言った。オレは上半身を起こして、背もたれに肘を乗せて台所を振り返る。
「アンタ、寝なくていいの?」
 問いかければ、まだいい、という返事が返って来た。
「ふうん」
 オレは、体の向きを変えてまっすぐ座りなおす。
 暫くして、大佐がポットと布フィルターをセットしたサーバーを手に戻ってきた。
 オレはその本格的な道具に、興味を引かれて寄りかかっていた背もたれから身を起こした。
「え? なに、マジで淹れてくれるんだ」
「珈琲中毒になったお祝いに、美味い珈琲でも飲ませてやろうと思ってね」
 …それは祝っていいことなのだろうか。
 オレが首を傾げていると、大佐はオレの隣に座って、サーバーの上にポットを掲げた。
 ポットを傾けてお湯を注ぐその手つきは、喫茶店のマスターのように手馴れたものだ。
 一回お湯を注いだ後、少し置いて、再び湯を注ぎいれる。
 ふわりと香り高い本物の珈琲の香りが漂ってきた。
 コポコポという音と珈琲の香りが、オレの心を落ち着かせる。興味深く大佐の行動を見つめていたオレは、再び背もたれに身を預けた。
「しかし、思ったよりも嬉しいものだね」
「なにが」
 ぽつぽつと落ちていく珈琲の雫を眺めて呟くと、ポットを手にした大佐がちらりとオレを振り返る。
「恋人が、自分の好きなものを好きになってくれるということは」
 しかも中毒になるほど。
 そう言って、またお湯を注ぎ入れる。
 恋人…、恋人ねえ…。
 オレは軽くため息をついた。まあ、恋人っつー単語は置いといて。
「やっぱ大佐のせいだよなあ…」
「アルフォンスにもそう言われたよ」
 やっぱりどことなく嬉しそうな大佐をオレは軽く睨みつけた。
「なに嬉しそうにしてんだよ」
「嬉しいんだよ。私の影響というのがまたいいね」
 カップに珈琲を注ぎ分けて、一つのカップをオレに渡す。その顔はニヤリという表現がぴったりな笑みを浮かべていた。
「うわ、いやらしい顔」
 オレはしかめ面を作りながらカップを受け取って、口をつけた。いい香りが鼻腔を掠める。深い苦味とほのかな酸味が喉元を過ぎた。
「美味い」
「そうだろう。私のとっておきだからな」
 思わずと言ったように出てしまった言葉に、大佐が嬉しそうに笑った。
 こんな顔を見せられたら、オレが中毒になっちまったのもしょうがないと思う。
 オレはカップを口元に当てたまま大佐の無邪気とも言える笑みを見上げた。
 大佐もやっと自分のカップを手にして一口飲んだ。
「司令部のまずい珈琲と同じ飲み物とは思えないだろう?」
「言えてる」
 大佐の言葉に、オレたちはカップを手にして笑った。
 それからすぐに、大佐はソファで寝息を立て始めた。
 こんなところで寝ても疲れはとれねえぞ、と呆れたが起こしはしない。
 珍しい大佐の寝顔を見ながら、オレは温くなり始めた珈琲を口に運んだ。

 次に起きたら今度はオレが珈琲を淹れてやろう。
 珈琲中毒というつながりが増えた記念に。

 おやすみのかわりに額にキスを落とすと、大佐が笑った気がした。



素敵な企画に参加させていただけました!
私がエドバージョンで書いたお話を、ロイバージョンで書いていただけるというもの。
ふふ。素敵なロイさんバージョンはこちらから!
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