4 君の名を呼ぶ
伊達政宗。
甲斐に戻った幸村を待ち受けていたのは、その名前を持つ男が思考の大半を占めるという病だった。
「佐助、某は病に罹ってしまったのだろうか」
「え? なに、旦那。甘いもの食いたい病とお館様熱のほかにもなんか病に罹ったの?」
今もまさに佐助の買ってきた団子を口に入れながら、ため息ばかりをついている。
「政宗殿の言ったことが頭から離れない」
幸村が意を決したように言った言葉に、佐助は顔をしかめるのが押さえられない。
「なに、あれから何か言われたの?」
佐助はもちろんあの後帰ったはずもなく影からこっそりと覗いていて、なにもかも承知だったが、あえて尋ねる。なんだか、いやな予感が当たっちゃいそうだな、と頭の片隅で考えつつ。
「いや、言われたわけでは…」
幸村は、かすかに頬を赤くしてうつむいてしまった。
佐助はそんな主の様子に、あーらら、と心の中で肩をすくめた。
「そりゃあ、恋の病だね」
なんて前田慶二ならあっさりと答えそうなことは言ってやらない。
こんなにあの男のことで悩むなんて、普段の主からは想像もつかないが、実際に目にしても変な感じがした。
「竜の旦那の策にどっぷりはまっちまったってわけだ」
呆れたような佐助の呟きに、幸村が目を上げる。
恋なんて、出会ってこの方、幸村の口から聞いたこともない。
武芸一辺倒の主には、そんなことは二の次三の次だったのだろう。親類縁者からも散々に嫁を娶れだのなんだの言われているわりには、それも他人事のように聞いていたに違いない。
「策…?」
佐助には政宗の心がよくわかる。この主のどこに惚れたんだかは知らないが、天真爛漫、よく言えば純情な主に自分だけのことを考えてほしい。そんなことを思ってのことだろうが。
「ああ、いいのいいの。旦那はなんも考えずに団子でも食ってなさい」
「なんだそれは」
幸村は子供扱いされたことを察知して、膨れる。だが、そんなやり取りをしていても、幸村の頭からは政宗の言動が離れない。
「こんなときには、体を動かすのが一番!」
幸村は団子をたいらげると、側に置いてあった槍を掴んで庭に躍り出た。
一心不乱に槍を振るう幸村を見て、佐助はもう一度こっそりとため息をついた。
「こりゃあ、脈ありなんじゃないの…」
夕食を済ませて、自室にこもった幸村は、布団にもぐりこんだ。
今日は疲れたのと、考えすぎて知恵熱が出そうだと思って、早めに休むことにした。
『お前が欲しい』
「っ…!」
目を閉じたとたん、政宗の言葉が脳裏に蘇って勢い良く目を開いた。そして、無意識のうちに指を自分の唇に当てる。
あれがどんな意味だったか、なんてもうわかっている。
わかっているからこそ、欲しい、という意味もわかってしまった。
佐助にはなにも分かってない、という素振りを見せていたが、本当はわかっていた。
伊達軍に欲しいわけじゃなく、人質として欲しいわけでもなく…。
伊達政宗個人として、幸村が欲しいと。
佐助に思わず言ってしまったのは、止めて欲しかったからか。それとも背中を押して欲しかったのか。ただ、甘えてしまっただけなのかもしれない。相変わらず子ども扱いされているのは感じたが。それでも怒る気は起きなかった。
最初は夜伽の相手でも探しているのか、とも考えた。けれどもあの唇の感触が、あの目がそんなことを欲しているのではないと思い知らせた。
周りが考えるほど、幸村は純情でもないし、世間知らずでもない。
戦国の今、女だから、男だから、という区別がないことも分かっている。
だけど、相手は奥州筆頭で、伊達の統領で、武田とは敵となるかもしれない男だ。
もし武田と敵になって戦をすることがあれば、自分は真っ先に政宗の首を捕りに走らなければならない立場だ。
以前の自分なら、なんの迷いも持たずにそれが出来るはず。
だけど、今は。そして、もし自分が政宗のものになることを了承してしまったら…。
「もう首は捕れないかもしれない」
すなわちそれは、武田軍を裏切ることにもなる。
こんなことを考えている時点で既に政宗の術中に嵌っているだろうことは、分かっていた。そして、こんなに考えてしまう時点で、自分の心が政宗に傾いているだろうことも。
「伊達、政宗」
政宗の六爪を受けた感触が、手に残っている。
あの重さ、あの鋭さ、剣を振るう風圧だけで身が斬られそうなほど。
そしてあの独眼の目。矢とも思いまごう程に鋭い眼光。あれに射抜かれて、欲されて、落ちないものがいるものか。
「…それでは某がまるでもう落ちたかのようではないか」
幸村は自分の考えに首を振った。
まだ、答えは出せない。
無理やり思考の糸を断ち切って、幸村は目を閉じた。
願わくば、夢にまで現れてくれるなと祈りながら。
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